「…で、何で彩がいるんだよ?」
約束の時間に約束の場所―近くの神社―に来た俺を迎えたのは、南雲ではなかった。
「決まってますわ。あなたを鍛えるためです」
けろっとした顔で彩が言う。母さま手製の巫女装束に身を包み、じっと俺を見据える。
彩だけではない。向こうには南雲と母さまが並んでいる。
「最近の静女ちゃん、何かおかしくって。母さまにも、姉さまにも相談してくれないんですもの。念のため、優糸さんにお願いしておいたのです」
チッ。いつもはおっとりしているクセに、妙なところだけ鋭い。
「ごめんね、静女ちゃん。彩女ちゃんには逆らえなくてさ」
向こうの石段に立つ南雲が謝る。その顔には謝意はなく、むしろ面白そうだ。俺達二人の技量を値踏みするような視線を送っているのがちょっと腹立たしいが、どうしようもない。
「静女。ある意味、彩女とやるのがいいのかもしれません。あなたの殻を破るには、この子が一番でしょうから…」
母さまが意味深なことを言う。俺には意味が分からなかった。
「強くなりたいのでしょう?…構えなさい。手加減はしません」
彩が両手をだらりと下げる。無形の位。一見無防備に見えるが、これが彩の構えなのだ。
「…チッ!」
こうなりゃヤケだ。やってやる。水瀬を一度横に大きく薙ぎ、切っ先を彩の目に向けた。
「…行くぜっ!」
先手必勝。先に仕掛ける。
ダッシュの勢いを剣に乗せ、袈裟懸けに斬る。当てるには余りに大振り。彩は少し身をずらすだけでかわした。
これでいい。フェイント、フェイント、ヒットが俺のリズムだ。体勢を直さぬまま足払いを放つ。彩の体が浮き上がった。―チャンス!
「ヒット!」
低い体勢から逆風に薙ぐ。自由の利かない空中。かわせるはずがない。
「ツメが甘いですわよ」
静かなささやき。彩は片手で―いや、正確には展開させた気の力場で―剣撃を止めていた。
「彩もな」
刀ごと彩を引き寄せ、拳を撃ち込む。今までは全部フェイント。ヒット、と叫んだのも剣撃を本命と思わせるためだ。
「クッ!」
少し離れたところに彩の体が落ちる。そんなにダメージはないはずだ。証拠に、撃ち込んだ手が少し痺れている。インパクトの瞬間に小さな気弾を放ち、衝撃を和らげたのだろう。
「ううん…やっぱり、このわたしでは稽古になりませんわね」
頭をさすりながら言う。母さま似の、長い黒髪がさらさらと揺れる。
「人は、壁を越えるために、危ない橋を渡らねばならぬ時もあります。わかりますね」
「あなたの場合、限界を超えるよう、もっと追いつめる必要がありますわ。少々荒療治ですけれど」
ふうっ、と一呼吸置いて、彩は続けた。
「母さまのお許しは得ています。大丈夫…万一の時には、母さまと優糸さんが、何とかしてくれますわ」
母さまの方を見る。彼女は空中に破魔の印を切っていた。南雲も緊張した面もちではあるが、何が起こるかはわかっているようだった。
もちろん。俺は、何が起こるか知っている。
彩の手が、顔の左側で髪を束ねる紅い紐に伸び、しゅるっとほどいた。束ねられていた髪がはらりと広がる。
「クックックックッ…」
綺麗だが、そのためにかえって不気味な声が聞こえる。髪が顔を覆い、彩の表情はわからなかった。いや…もう彩ではない。
「…わらわと手合わせできるとは、そちは幸運じゃ。のう、静女よ?」
もう、彩女ではない。殺女。攻撃性だけが前に出た人格。いや、人格というのは正確ではない。上手く言えないが、これこそが正真正銘の、本気の彩なのだ。
「どうした、早く来ぬか。それとも…わらわが怖いのかえ?」
そう言って笑う殺女の顔は、妖魔か鬼女のようだった。
悔しいが、俺は気圧されていた。圧倒的な気の波に揉まれ、動くに動けない。
見れば、南雲も俺と同じようだ。ただ母さまだけが、顔色一つ変えずにいた。
「では、こちらから行こうかえ…」
気付いたときには遅かった。あっと言う間に懐に入られる。
「しまっ…」
「遅いのう」
殺女の手が、俺の胸のあたりをそっとなでた。それだけで体の中に痛みが広がる。俺は苦痛の叫びを噛み殺した。
「気丈じゃのう…じゃが、いつまで保つかのぅ?」
殺女がトン、と俺を押した。数メートル吹き飛ばされ、地面に体を打ちつけてしまう。
気功の出力が段違いだ。さっきの攻撃も、かなり抑えているのだろう。でなければ、生きているはずがない。
俺は、初めて殺女を見たときのことを思い出していた。
あの時も場所はここだった。まだ剣を覚えたての頃、彩と一緒に稽古をしていたときだ。何に引かれたのか、数匹の餓鬼に襲われた。その時の俺はとても弱くて、全然かなわなかった。殴られて、気を失った。気が付くと餓鬼はほとんど肉塊になっていた。いたのは、最後の一匹にとどめを刺す殺女だった。助かった安堵よりも、恐怖の方がまさったのを覚えている。
俺はゆっくりと立ち上がり、水瀬を握り直した。思えば、俺が越えようとしたのは親父ではないかもしれない。幼い頃の、あの恐怖に勝とうとしたのかもしれない。そのために。「ほほ…よう立った。それでこそ我が妹よのぅ」
殺女の手が小さく揺れた。来い、というのだ。
俺は真っ直ぐに殺女に向かった。最高の速度で連撃を加える。殺女はそのことごとくを避け、受け流し、弾いた。殺女の、綺麗だがどこか歪んだ顔から嘲笑は消えない。
そのかわし方は、まるで攻撃を先読みしているかのようだ。実際、読まれているだろう。殺女の戦闘センスは彩とは比べものにならない。その上、幼い頃から何度も手合わせしてきた。状況は、圧倒的に不利だった。
「やあぁぁぁ>」
連撃の速度をさらに速める。限界を超えた機動に、筋肉が悲鳴を上げた。とにかく今は、攻め立てるしかない。
だが。それとて、無駄なあがきでしかなかった。殺女の手が俺の首を捉えた。喉輪を喰らい、呼吸が一瞬止まる。
「弱い、弱いのぅ…」
屈辱的な言葉を吐きながら、殺女は腕をゆっくりと上げた。俺の足が地面から離れ、途端に呼吸が苦しくなる。
―か、母さま…
苦痛に閉じそうになる目を開き、母さまの方を見た。
母さまは、やはり顔色一つ変えていない。止めようとする南雲を手で制止していた。
「この有様では、水瀬はそなたには不釣り合いじゃな」
殺女の、空いている手が水瀬を奪い取った。
「知っておるか?水瀬の意味を…」
―知るもんか!
そう叫んだつもりだが、声にはならなかった。
「水瀬とは水の瀬…つまり川岸、三途の岸じゃ…見てみたいか?」
殺女が水瀬を放り投げた。乾いた音を立て、白石の上に転がる。
途端、のどを中心に激痛が走る。全身に負の気が送り込まれ、骨がきしみを上げた。
死が現実味を帯びる。だが、俺は死を受け入れられなかった。死にたくない。未熟なまま死にたくはなかった。その思いだけが俺を支配した。
―もっと速く打ち込めれば…風よりも、稲妻よりも、光よりも速く…!
今まで、こんなに強く願ったことはない。ただひたすらに、そう念じた。

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