第6章 奇跡はここで起きる

「ティエルっ!」
「やめろ、レイガー!」
 シーディがレイガーを止めるいとまもなく、レイガーまでもがティエルのあとに続いて身を空に投げ出した。
「レイガー!」
 止めようとしたシーディの手が空しく空をつかむ。
 絶望がシーディを襲った、その時だった。
 視界が白く光った。

 次の瞬間、シーディが目にしたのは真っ白な、汚れない、銀にも似た輝きを持つ羽だった。
 その翼はレイガーの背中からすっとのびていた。
「と、飛んでる…」
一番驚いているのは他でもない、当の本人レイガーだ。
「どうして…どうして助けたの!あなたを傷つけるかもしれないのに!」
 ティエルはレイガーに抱きかかえられながら顔を覆って泣きじゃくっていた。
 そんなティエルにレイガーはそっと声をかけた。
「そうなったときは俺が…俺がティエルを止めるから。…だから、一人で全部背負い込もうなんてするな」
 ティエルはそれを聞いて、小さく、しかし何度も頷いた。

「…とにかく、いったん聖堂へ戻るぞ。ゼノンさんのことが気がかりだ」
 戻って来たレイガーに、シーディは言った。
「ああ、何かやな予感がする」
 この予感は当たることとなる。

シーディ達一行が、聖堂の大広間にさしかかった次の瞬間、

ゴゥンッ

爆発音と煙と振動が伝わってきた。
「?なんだ?」
とまどう一行が見た物は、ゼノンの足下に倒れ込む、オルカスだった。
 ゼノンはこちらに気がつくと、傷だらけの顔でにっこりと力無くほほえんだ。
「…よかった。ティエルを救ってくれたんですね。こちらも、オルカス様を…何とか止めることができました。少々手荒かったのですが…未熟者の私ができるのは、これくらいで…す…から…」
 と、そこまで言った途端、ゼノンはその場に倒れ込んだ。

「なんて無茶をするんですか!」
 騒ぎを聞いて駆けつけたバークレー騎士長の叱責が飛ぶ。シーディがいるのにお構いなしだ。
「いやだからレベルが桁違いに高いオルカス様を止められるのは、この前あなたに教えてもらったあの攻撃魔法しか思いつかなかったわけで…。あはは」
「『あはは』じゃなーいっ!もっとご自分のレベルをわきまえたらどうですか!あの魔法はあなたのレベルより3レベル位上級のものなんですよ?あぁあ…こんなことなら教えなきゃよかった…」
呆れかえってゼノンに説教をするバークレー。
「と、そう言えばティエルさんは?」
「今、上の部屋でレイガーが寝かせてます」
町であれだけの騒ぎを起こしたので、とてもじゃないが町の宿屋には泊まれない。
 と、言うわけで広い聖堂の一室を借りることになったのだが、レイガーはどうやらティエルを一人にしておく気にはなれないらしい。寝たら降りてくるとは言っていたが。
「…君は知ってたんですね?ティエルがモンスターと関連を持っていたって」
シーディはその問いに身体をこわばらせた。そしてやっとの事で一言だけ絞り出すように言った。
「はい」
「レイガー君には言っていましたか?」
「いや…。言って…無い…です」
「…そうですか」
会話はそこで終わってしまったので、何故そんな質問を唐突にゼノンがしてきたのかは分からずじまいだった。

 それからしばらくしてからだった。
 自分たちに用意された部屋で荷物を整理していると、レイガーが入ってきた。そして、ドアを閉めて、ぽつりとつぶやいた。
「まさか…ティエルがクローンで、モンスターの細胞が使われてたなんて…」
「…俺は、薄々そうじゃないかと思ってた」
 シーディの驚くべき発言にレイガーは思わず叫んだ。
「何だって?」
「彼女が人間でないことは、誰が見ても明らかだろ?それとここに来るまで一度もモンスターが襲ってはこなかった…。それは、ティエル自身がモンスターだったからだ」
 レイガーが、淡々と無感情に喋るシーディの胸ぐらをつかんで、壁の方に押しやった。 …いや、叩きつけた。
「何で俺に教えてくれなかったんだ?」
 シーディはうつむいて、レイガーと視線を合わせようとはしなかった。シーディに対する怒りを隠さずにレイガーは強い口調でなおも続ける。
「…お前はいつもそうだ!大事なことはいつも自分一人で背負い込んで!
 俺はお前の親友だろう?何で教えてくれないんだ?俺は信用できないのか?」
「親友だったからこそ…。言えるか!こんなこと!」
 シーディが怒鳴った。レイガーがそれに、一瞬だったが、驚いたように手をゆるめた。
 いつも冷静なシーディが、こんなに感情を表に出すのは滅多になかった。
「お前の態度を見てて…どうしても言えなかった」
 長いため息をついて、額に手をやってシーディは静かにつぶやいた。
「…すまない。怒鳴ったりなんかして」
レイガーはシーディを真っ直ぐ見つめて、はっきりと強く言った。
「謝り言葉はいらない。ただ…隠し事はしないって約束してくれ。『あの時』みたいなことも、今回みたいな事も、もうたくさんだ」
 レイガーの澄んだオッドアイがシーディにイエスと言うことを余儀なくする。
「分かった…約束するよ」
シーディもレイガーの目を見て約束した。

 次の日、三人はゼノンのところに行った。
 ゼノンはまだベッドの中だった。相当体力を消耗したらしい。少し言葉を交わしたあと、ゼノンがおもむろにティエルに声をかけた。
「あ、そうだティエル…さん」
ゼノンはしばし迷って、続けた。
「オルカス様は、…あなたのお兄さまは今、ここの地下にある結界を張った特別な牢に拘束されていますが、その…早く町を離れられた方が…」
 しかしティエルの出した答えは意外なものだった。
「兄に…会えますか?」
「ティエル?」
レイガーが驚いてティエルの方を見る。
「どうしても…会って話がしたいの」

 聖堂の地下。
 地上の広間とはうって変わってひんやりした空気と、冷たい漆喰で塗り固められた壁で、言いようのない圧迫感があった。
「何の用だ」
不機嫌そうなオルカスの声が地下中に響く。
「話があるの」
 そう言うティエルに無言で答えるオルカス。
「ありがとう…。兄さん」
 思いもかけない言葉が、ティエルの口からでた。
 その場にいた全員がティエルとオルカスに注目する。
 さらにティエルは言葉を紡いだ。
「私は、あなたの言うとおり失敗作だったのかもしれない。あなたの妹のティエルじゃないかもしれない。だけど、それでも私は、私を作り出してくれたあなたに感謝してる」
 オルカスは驚いたような顔で、その口から出る、一言一句を聞いていた。
 ティエルは微笑んで言った。
「私はこんなにも素晴らしい人たちに会えたから。たとえそれが…もうすぐ消えてしまうかもしれなくても」
 ティエルは視線を下げて、自分の腕を見やった。
 その手袋の下には異常な細胞が、モンスターの細胞が依然として増え続けている。
「一つ…可能性はある…」
 オルカスが重い口を開いた。
「『ブランクルーン』だ」
 ティエルが目を見張る。
「意味は『運命』と『無限の可能性』…。もしかしたら…本当にもしかしたらなんだが…お前の『運命』を『無限の可能性』で変えられるかもしれない」
「お兄ちゃん…」
 そのティエルの何気ないつぶやきにオルカスは左右に首を振る。
「私はお前の兄さんなんかじゃない。そんな資格はない」
「ううん。そんなことない。私の中ではいつまでも、優しいお兄ちゃんだから…」

『お兄ちゃん』

 その言葉がシーディの脳裏に妹の顔をフラッシュバックさせる。懐かしい響きだ。と、シーディは感じた。
懐かしい響きだ…

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