第5章 哀しき真実
ゼノンの出したお茶と、軽い食事を前に、シーディはゼノンに聞いた。
「で?あんたはティエルの何なんだ?」
ゼノンは少しためらってから絞り出すように言った。
「婚約者…でした」
レイガーはショックを隠しきれないようだ。
「こ、婚約者?」
しかし、シーディは冷静に聞き返した。
「でした?過去形か」
ゼノンはうつむき、指を組んだ両手で顔を隠すようにして、聞き逃してしまいそうなくらい静かに言った。
「だって…ティエルはあの日…死んでしまったのですから」
誰も何も言えなかった。重い沈黙が辺りを包む。いつの間にか降り出した雨の音だけが部屋に響く。ティエルは背筋に悪寒が走るのを感じた。ゼノンは続けた。
「あれは1年ほど前…私の元に、伝令がやってきて、ティエルの死を…告げました。あわてて私が、ティエルの家に向かう と、彼女の姉と母が、泣きはらした目で、これだけ言いました。
『…ティエルが、夜明けの塔から足を滑らして…転落死した』
と」
ティエルが眉間にしわを寄せた。肩が震えている。
「でも…」
シーディがゼノンにその言葉の先を促す。
「『でも…』何だ?」
「でも…夜明けの塔は海に面していて、死体は誰も見ていないんです…」
ゼノンは一呼吸置いて続けた。
「だから、私はティエルを弔うためにこうして、この聖堂に入ったのです」
と、そこまで言った時だった。
荒っぽくドアを開けて一人の男性が入ってきた。シーディは敵意を帯びた彼の目に言いようのない嫌悪感を覚えた。
ゼノンは男性を見て複雑な顔つきで、どもりながらしどろもどろにたずねた。
「オ…オルカス様…。何故ここに?」
「バークレーに会ったのでな。騒ぎを起こしたものを私室に招き入れ、あまつさえ人の不幸をべらべらと喋って…。
来月には司祭への昇格試験があるのにえらく余裕だな、ゼノン!」
レイガーがゼノンにこっそり尋ねる。
「誰だ?」
ゼノンが答えるより早く、
「私の名は、オルカス。ここの管理を任されている」
それを聞いたシーディはオルカスを見据えて言った。
「人の不幸とか言ってたが…まさかあんたは…」
「ティエルさんの…お兄様です」
ゼノンが付け加える。
その時、オルカスは初めてティエルに気がついた。
途端に彼の厳しい顔が一転して歓喜の表情に変わる。
「ティエルっ!成功したのか!」
ティエルはとまどいを隠せなかった。
「…どういう…事?」
「そうか記憶を消したんだったな」
オルカスは笑みを漏らして驚くべきことを言った。
「お前は私が作ったんだ」
その場にいた一同の顔がこわばる。オルカスは続けた。
「あの日お前が死んだとき、私はお前を失うのが怖かった。納得できなかった。だから私の持つ知識と技術を総動員して、『ティエル』を作った。しかし、どれもこれも失敗だった。そこで私は…」
ゼノンが非難の声を上げた。
「死者を蘇らせるなんて…。なんて傲慢なっ!」
それをさらりと聞き流し、オルカスは続けた。
「…お前の姉と母を使った」
「!」
一同はその、さも当たり前のように淡々と彼が話す事実に面食らった。
「ってことはティエルの母親と、姉さんは…」
レイガーが言い終えないうちにオルカスが答える。
「ティエルのためなら仕方がなかったことだ」
いつも多少のことでは動じないシーディも今度こそは危機感を感じざるを得なくなっていた。
『こいつは…危険だ』
「だがそれでも上手くいかなかった。そこで私は最終手段として…モンスターを用いた」
「何故そこまでして…?」
ゼノンが問う。その表情は暗かった。
「純血を守る…ためか」
シーディがそれに続けた。
「その通りだ」
オルカスが不気味に微笑む。
ティエルがおもむろに最近はめだした手袋を取った。その下にあったのは白く細い腕ではなく、褐色に変色し、所々がただれたようになった腕だった。
「これも…そのせい?私に、モンスターの細胞が使われているせい?…治して!私を作ったあなたなら、治せるでしょう?」
それを見た途端オルカスの態度が一変し、冷徹な口調でティエルに言い放った。
「…お前もやっぱり失敗作か」
ティエルの顔が絶望にゆがむ。
「お前も…って…どういうこと?」
「私が作ったのはお前だけじゃない。あと2体いたんだ。しかし、どれもこれもそんな風にしてモンスターの細胞が暴走する。…せっかく記憶を消して森に捨ててきたのに…まるで犬だな」
「いい加減にしろ!」
レイガーがオルカスに詰め寄った。
「さっきから聞いてれば勝手なことばっかり!自分勝手にもほどがあるぜ!ティエルの気持ちも考えて見ろ!」
オルカスは、しかし、顔色一つ変えずに言った。
「モンスターの気持ちは人間には分からない」
と。その時だった。
──バンッ
ティエルは荒っぽくドアを開けて何も言わずに出ていった。
「ティエル!」
レイガーがあわてて後を追う。シーディもそれに続く。が、オルカスの前を横切るときオルカスに呼び止められた。オルカスはシーディに小さな薬瓶を渡すと、気味が悪いほどの丁寧な口調で言った。
「あれをこの薬で殺してくれ。あんな物が暴走したら後々迷惑になるからな」
シーディは言った。
「ありがとう」
オルカスはそれを受けて
「どういたしまして」
と不敵な笑みを浮かべた。
─バキッ
言い終わると同時に、シーディの鉄拳がオルカスの顔にめり込んだ。
「本当に。この薬をあそこで出してたら間違いなくその場でティエルは死のうとしただろうからな!」
「貴様…!」
顔を押さえてシーディをにらみつけるオルカスの前にゼノンが立ちはだかる。
「あなたのやってることは死者に対する冒涜でしかありません!シーディさん!多分ティエルは『夜明けの塔』に向かうはずです!ティエルを…彼女を止めてください!」
シーディはくるりときびすを返して部屋から駆けだした。
「くそっ…ティエル…どこに行ったんだ?」
レイガーが壁に片手をついた。人混みにティエルが紛れてしまい、見失ってしまった。
「レイガー!」
シーディが追いついた。
シーディは町はずれの塔を指さした。
「きっとあそこに向かったに違いない」
「…海に面した塔…あれが夜明けの塔か」
「ああ」
塔の下では黒い人だかりができていた。
それをかき分けて塔に入ろうとすると群衆の一人が二人を呼び止めた。
「だめだよ!若い女の子が最上階に行って縁に立ってるんだから!下手な刺激は…」
それを振り切って、二人は夢中で駆け上がった。
長い階段を上りきると、そこにティエルはいた。
向こう側は、海の光が反射して、きらきら光ってまぶしかった。
「ティ…」
「来ないでっ!」
レイガーの声をかき消すようにしてティエルが叫んだ。
後ろを向いているので、表情は分からない。が、震える声と肩が彼女の心を物語っていた。
「…あの村で、見たでしょ?得体の知れない、奇妙な異形の怪物を。私もああなるのよ。私は、ほんとはもう死んでしまってる。だから、私はここにいるべきじゃない。だから…」
ティエルが町とは反対側の縁に立った。
夕日が海に反射して、ティエル自身が光り輝いているかのような錯覚。
ティエルは二人の方を向いて、頬を涙でぬらしたままで、精一杯の微笑みを二人に見せて、震えた声で言った。
「さよなら」
そして、足を空に踏み出した。
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