「あーあ、静女ちゃんたら…今日は一緒に帰りましょ、って言いましたのに…」
夕方。彩女は家路についていた。ふぅ、と何度目かの溜め息をつく。静女というのは、彩女の双子の妹である。同じ高校に通っているものの、部活の関係で一緒に帰ることは少ない。彩女はそれがちょっとさみしいが、文句は言わない。静女は静女、自分は自分だと割り切っているのだ。ただ、今日はちょっと事情が違う。
「父さまも母さまも留守ですのに…一人ではさみしいですわ」
一人だからか、クセなのか。思ったことが、つい口を突いて出てしまう。馬鹿丁寧な口調は地のようだ。
彩女の両親は昨日から出掛けている。表向きは旅行ということにしてあるが、建前だ。
両親は退魔師なのだ。二人とも、当代屈指の実力者である。「旅行」は、各地の魑魅魍魎を祓って回ることだ。文明化が進んだ現代でも、妖魔の類はいるらしい。いや、現代だからこそだろうか。社会の歪みが産む心の闇が鬼を呼び寄せると、彩女は父から聞いたことがある。だとしたら、それはとても哀しいことだと彩女は思う。人の努力が闇を産むとは。
―まるで道化ですわね…―
闇に憑かれる人。闇に引かれる鬼。母は、どちらも救えるのよ、と言っていた。そして彩女にはそれができる、とも。
―できるのでしょうか…このわたしに…―
じっと手を見る。彩女はひどく感傷的になっているのに気づいた。夕日に一人、というシチュエーションのせいだろうか。それとも昼間、あの男に感じた感覚のせいなのか。
「あら…?」
あることに気付き、首を傾げる。思い出せない。あの柔和な女顔の男の名が、どうしても思い出せなかった。
―な…なぐ…なぐ、だったかしら?―
「きゃ?」
突然何かにぶつかった。考えるのに夢中で、前を見ていなかったのだ。
「どこみてやがる、このアマ!」
曲がり角、出会い頭にぶつかったらしい。相手の男が下品な台詞を吐く。
見るからに危険そうな男だ。服装や雰囲気からそうとわかる。何より、淀んだその目は正常なものではない。後ろにいるもう二人も同じような感じだ。
「あらあら、これは失礼をつかまつりましたわ。どうぞお許し下さいませ」
謝罪と共に軽く頭を下げる。その仕草は、緊張感とか危機感というものとは無縁のものだ。だが、上品さも時と場所を選ぶ。彩女の優雅な仕草は今は逆効果だった。
「ナメてんのか、ああ?」
案の定、後ろの一人が声を荒げる。通行人の視線が集まるが、皆我関せずを決め込んで足早に去ってゆく。
「なかなかいい女じゃねーか。ちょっと俺達に付き合ってくんねぇかなぁ?」
いつの間にやら壁―民家の塀だ―が背後にあった。完全に囲まれている。今時、こんな迫り方をする輩も少ないだろうに。
「失礼ですが、わたくし、あなた方のような品のない方とは御一緒したくありませんの。道を開けてくださるかしら?」
丁寧ながらも、言うことはキツイ。
「言ってくれんじゃねーか!」
さっきぶつかった男が彩女の肩を掴む。
「下衆如きが…わらわに触れたな?」
彩女の切れ長の目が、すうっと細くなる。あたりの空間に戦慄が走った。男の一人が一歩後ずさる。少女一人に、男三人が気圧されている―そこまでだった。
「あ、あの…その人を、放してくれないかな…」
弱々しい声が場の雰囲気を止める。男達が振り返ると、そこには声相応の柔弱な青年がいた。彩女の学校の制服を着ている。
「なんだ、てめぇ?」
肩を掴んでいる男がギロリとにらむ。青年はちょっと躊躇したようだが、意を決したようにまた口を開いた。
「いや、女の子相手に男三人なんて、って思って…」
「うるせぇ!」
言葉を遮り、肩を掴んでいる男―いつまで掴んでいるつもりだろう―が青年に殴りかかった。
「やめてくれっ!暴力は嫌いなんだっ!」
言葉とは裏腹に、青年は拳をかわすと、肘を喉元に入れた。間髪入れず、みぞおちに膝をたたき込む。男は悲鳴を上げるのもままならない。
「まぁ、痛そう」
ゆっくりと倒れ込む男を見ながら、彩女は場違いにおっとりとした声をあげた。
「てめぇ!」
「やりゃあがったなっ!」
残る二人も続く。
―…ボキャブラリーの少ない方たちですこと
彩女がそんなことを考えている間に、一人倒れる。
「あらあら」
最後の一人の、破れかぶれの一撃を、青年は身をひねるだけでかわす。体勢が崩れたチンピラと青年の目が合う。
「まあまあ」
青年はごめん、と一言言って、顎を蹴り上げた。チンピラはドッと後ろに倒れ―これ以上動かなかった。
「結構お強いですのね…助かりましたわ。お礼申し上げます」
「うん、ああ…君こそ、無事のようだね…良かった」
青年がドギマギしながら答える。その様子からして、女性に慣れていないのだろう―そう、察しを付けた。
「じゃ、僕はこれで」
「あっ、お待ち下さいまし」
彩女の制止を振り切り、青年は逃げるようにして去っていった。
「奇特な方もいるものですね…」
夕焼けに溶けていく後ろ姿を見ながら、つぶやく。そして気付いた。さっきの男に見覚えがある…が、誰だろう。またもや思い出せなかった。
「ふ〜ん、なかなかやるじゃん」
彩女が首を傾げていると、後ろから聞き慣れた声がした。
「静女ちゃん…見てらしたのね?」
静女は手にする木刀をもてあそびながら、姉の横に並んだ。彩女とは対照的に、短くまとめた髪。やはり一房くくり、右側に垂らしている―こちらは藍色の紐だ。
「南雲優糸…一度手合わせ願いたいな」
静女が挑戦的な目で言う。その言葉に、ぽん、と彩女が手を打つ。
「南雲さんでしたのね。道理で見覚えがあるはずですわ」
「おいおい、気付かなかったのかよ?」
半ば呆れた声で言う。彩女が人の顔を覚えるのが苦手なことは、静女はよくわかっていた。だが、南雲は学校ではかなり有名のはず。姉の世間知らずに、静女は一人頭を痛めた。
「しかし…何とも派手にやったなぁ」
足下に転がる男達を見た静女の感想だ。急所だけを的確に打撃したのがわかる。中には泡を吹いている者までいた。
「あら。そんな事ありませんよ。むしろ、軽く済ませてくれて助かりましたわ」
平然と言う彩女。
「軽く…って、あんたねぇ…」
「かような下衆風情がわたしに狼藉を働こうなど、身の程知らずにも程があります。三途の川の岸までご案内しようと思いましたが、あの方が軽めに済ませて下すって…」
相変わらず言うことが危ない。聞きながら静女は、哀れな男達に心底同情した。彩女の言葉に嘘はない。いつだったか、彩女に手を出した不用意な男が半死半生になったのを、静女ははっきりと覚えている。あの怯えきった目は忘れられない。
「どうしたの、静女ちゃん。早くおいでなさいな」
少し離れたところで姉が呼んだ。考えている間に置いていかれたらしい。ああ、と答え、小走りで追いついた。
「彩、あんまりやりすぎない方がいいぜ。普通の人には手を出すな、って父さまも言ってただろ」
「あら、わたし何にも悪いことしてませんわ」
彩女には妹の諌めは届かない。
「…って、俺はだな、彩のためを思って…」
「静女ちゃん、またそんな殿方のような言葉遣い…おやめなさいと言ったでしょうに。それに、わたしのことは『姉さま』とお呼びなさい」
「俺はこれが好きなんだ!双子のくせに姉貴面するな!」
思わず声を荒げてしまう。が、彩女は少しも動じない。
「そんなこと言ったら、お姉さん悲しいわ。これでも一応、姉ですもの♪」
「だーかーらっ!双子なんだから歳の差なんてねぇだろうがっ!」
いつの間にか話題がすり替わっている。もはやお決まりとなった会話をしながら、双子は夕焼けの家路についた。

―救急車ぐらい、呼んであげた方が良かったかしら?―
彩女がそう思いついたのは、数時間後のことだった。

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