修羅と夜叉

強くなりたい。誰よりも強く、何者にも負けないようになりたい。
小さい頃からそう願ってきた。何故そうなったのかはよく憶えていない。
ただ、いつも親父―本人の前では「父さま」と呼ぶのだが―の背中を見てきた気がする。
いつか、親父を超えたい。一流の退魔師であり、神剣鬼切丸の主である父を。
日々鍛練を積んできた。実戦の経験も、一度や二度ではない。なのに。
俺は壁にぶつかっていた。いつかぶつかる、能力の限界。
俺は源静女。退魔師の娘だ―


休日の昼下がり。親父は一人で出掛けてしまった。こんな事は珍しい。いつもなら休日となると、母さまを連れてどこかに行ってしまうのに。
両親はやたらと仲がいい。夫婦だから、と言ってしまえばおしまいだが、程がある。もう十七になる娘がいるというのに、まるで新婚のノリなのだ。
それはいい。だが、俺の目の前でいちゃつくのはやめてほしい。子供にとって、親がいちゃつくのを見るほど間が悪いものもない。
俺はお茶を一口すすった。居間には母さまと二人っきりである。
実際、少し居づらい。母さまが嫌いなわけではない。大好きだ。だが、何となく苦手というか、やりづらいのだ。
「彩女は、いつごろ帰るのでしょう…光一さまも、もうすぐお戻りになるというのに…」
時計を見ながら母さまが呟く。時計の短針は「三」にかかろうとしていた。
この口調。子供の前でもこれである。
「彩とて、もう子供じゃありません。南雲先輩もついていることですし、心配には及びません。それに、デートから帰るのには、まだ早いでしょう」
俺は淡々と答えた。慣れたとはいえ、ですます調で話すのは面倒だ。だが、普段の言葉遣いなどすれば、どんな事を言われるかわかったものじゃない。
彩女というのは、俺の双子の姉である。俺とは違い、平素から母さまのように話す。双子のくせに、すぐ俺を年下扱いするが、たった一人の姉である。その名家のお嬢様のような雰囲気に引っ掛かる男は多いが、少し前に恋人ができた。
それが南雲優糸。俺より一つ上の、剣道部の先輩である。柔和な女顔で、女装すれば十人中七人は騙されそうな男だ。他人はどうだか知らないが、あの頼りなさそうな奴の、何処がいいのかわからない。女生徒に人気があるらしいが…。
―彩も、何であんなのに引っ掛かるかねぇ…
恋、か。今の俺には疎遠な言葉だ。そんなことより、少しでも強くなりたい。
「…静女。どうしたのです、そんなに黙り込んじゃって…」
「え…?あ、いや…」
深刻そうな顔に見えたのだろうか。母さまが俺の顔を覗き込んだ。
「何か、悩みでもあるのですか?母さまに話してご覧なさい。あなたがそんな顔をしてるなんて、母さまは心配ですわ」
「いえ、何でもありません。少し考え事をしていただけです」
あわてて平静を装う。母さまは少し怪訝な顔をして、その長い黒髪に触れた。
「…そうですか。それならよいのですが…」
身を戻し、お茶を一口すする。仕草の一つ一つが洗練されていて、育ちの良さを証明している。
母さまは平安調の長い黒髪の持ち主だ。平安調、というか、当時の人なのだが。
源 神楽。旧姓、安陪 神楽。時の天才陰陽師、安陪晴明の愛娘であり、“鬼殺し”源頼光の婚約者。そして千年の眠りを経て、頼光の転生先―つまり親父だ―と結ばれた巫女。これが俺の母さまである。当年とって千と四十すこし。だが、どう見ても三十半ば―ヘタをすれば、三十路前にしか見えない。
昔、瀕死の母さまを救うために爺さん―千年も前の人が爺さんだなんて、ちょっと変な気分だ―が鬼の魂を母さまに憑依させたらしい。その魂は親父によって浄化されたが、完全ではなかった。いわば副作用で、母さまの老化は遅い。
娘としてはたまったものではない。姉妹に間違えられるなど、しょっちゅうだ。それを「わたくしもまだまだ若いんですのね〜」、とか言って喜んでいるのだから始末が悪い。
こうしてみると、俺の家族って異常だな、と思う。
「母さま、わたし、少し体を動かしてきます」
いつまでもここにいても仕方がない。俺は強くなりたい。そのためには日々の鍛錬が大切である。それに、もうすぐ親父が戻る。目の前でいちゃつくのを見るのは、気持ちのいいものではない。もちろん、二人に気を遣ったのもある。
「…そうですか。夕餉までには帰るのですよ」
母さまは少し寂しそうな顔をするが、声には出さない。昔からそうだ。これからもそうだろう。ずっと…
俺は立ち上がり、着替えるために自分の部屋に向かった。

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