第1章 神話

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 その昔、世界がまだ、混沌(カオス)から秩序(コスモス)になったばかりの頃、双子の神がおりました。
 二人は大変仲が良く、いつも一緒でしたが、ある時、小さなすれ違いが二人の間に大きな溝を作ってしまいました。
 その後、二人は天に昇り、仲直りすることもありませんでした。
 幾千年経った今でも、決して二つの月は同じ夜空に見えることはないのです…。
 
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「わぁー。人がいっぱいだね!」
 黄昏色の髪に瑪瑙色の瞳をした女性がその町並みに感嘆の声を上げる。
「そりゃなんつったって王都『フィアラル』だからな」
 亜麻色の髪をした、オッドアイが印象的な青年がそれに答える。
「ティエル、レイガー。あんまりきょろきょろしてるとはぐれるぞ」
 黒檀のように黒く、そして長い髪と黒曜石色の瞳をした長身の青年−シルディオン−が二人に釘を刺す。
 ここは王都『フィアラル』。この国は石油、石炭、鉄鉱石などの地下資源はまったくと言っていいほど無い。その代わりにこの国の財政は『観光』と、この国の特産品『ディーヴァ』によってまかなわれている。
 『ディーヴァ』というのはこの国の領土のみに生える植物である。その輝くばかりに美しい花は見る者を魅了し、香りは嗅ぐものの心に安らぎを与える。
 この国を治める『エアハルト』の王が代々、若々しく、聡明なのはこの『ディーヴァ』で入れた紅茶を愛飲しているからとも言われている。

 シーディ達はとある宿屋に部屋を取った。
シーディが宿帳に記帳しているとき、レイガーが壁のプレートに気付いた。
「へぇ、この宿屋、地下にバーがあるんだって」
「じゃあ、何か軽いものでも食べに行くか」
シーディがペンを置きながら相づちを打った。

 そのバーはなかなか感じがよく、三人はしばし他愛もない会話を交わしながら軽い食事をとっていた。
「ねぇねぇ、ティエルの食べてるの、それ何?」
レイガーがティエルの皿を見る。
「うーんとねぇ…『ランジの実のディーヴァ添え』だって。ほら、ディーヴァの花のいい匂いがするでしょ?」
ティエルがメニューを見てから答える。
「一つもらってもいい?」
フォークを出しながらレイガーが聞いた。
「うん。…あ。食べさせてあげよっか?」
「えぇ?」
ティエルがレイガーの方を見ながらいたずらっぽく笑う。
 シーディは頭痛がしたような気がしたが、しかし、明らかに動揺しているレイガーは何となく笑いを誘う。
「な、何笑ってんだよ!シーディ!」
「いや…ホント、お前ら二人は仲がいいなーと思って。でも、ここに一人モンもいるんだが?」
「あ…ごめんなさい。私…」
半分冗談で言ったのに、ティエルが真に受けて謝ってくる。
 シーディはすぐさま言葉を補う。
「謝ることなんて無い。それに、自分の親友が楽しそうなのを見ているのはこっちも楽しいからな」
「とかなんとかいいながら、後で俺をからかうネタができたと思ってるんじゃないのか?」
「さぁね?」
 シーディは、適当にごまかしてみせ、鼻で笑う。
つられてティエルがくすくすと小さな笑い声をもらす。
あたりの時間がゆっくりと流れているような、そんな感覚。
 久しぶりの『休息』を味わいながら、シーディは再びグラスに手をのばした。 

 しかし、その和んだ雰囲気は一人の男の粗野な声によって一瞬にして消え去った。
「なんか言ったか?ああ?」
 がっしりした体格の男が、一人の青年──どうやらここの店員らしい──にからんでいる。
 どうやら酒に相当酔っているらしい。
「だ…だからもうこれ以上のお酒はやめといた方が…」
襟をつかまれながらも声を絞り出す青年。
「俺は客だ!好きなだけ飲ませるのが筋ってモンだろ?」
見かねたシーディとレイガーが止めに入ろうとしたその時だった。
「いい加減にしないか」
静かな、しかし良く通るアルトの声がその場に響く。
 見ると、栗色の髪をショートボブにした、見るからに華奢な女性が、その細い腕で、自分の二倍はありそうな、太い腕をつかんでいた。
「なんだお前!」
「ここは楽しく酒を酌み交わす場所だ。騒ぐ者の来るところではない…」
表情一つ変えずに淡々と話す女性。
 それに一層腹を立てたのか、男は、青年から手を離し、代わりにその女性の胸ぐらをつかんで自分の顔のところまで持ち上げた。
「もっぺん言ってみろ!」
「私に触るな…」
「ああ?」
「私に触るな!男が!」
そう怒鳴って女性は男の顎に痛烈な蹴りをお見舞いした。
 思わず手を離す男。しかし女性はしなやかな身のこなしで、颯爽と地面に降り立つと、腰の、身体に不釣り合いなほどの大きな剣を素早く抜いて、倒れ込んだ男の喉元に突きつけた。
「今すぐここから立ち去れ!」
 男はすっかり酔いが醒めてしまい、よろけるようにして慌ててバーから出ていった。
 その場にいた人から思わず歓声と拍手が起こる。
「騒がせてしまった。済まない」
 そう、オーナーらしき人に言いながら、女性はカウンターの、シーディ達のすぐそばに腰掛けた。
「いやいや。こちらこそ、怪我人が出なくて助かりました。これは礼です。まぁ、飲んでください」
 差し出されたグラスを見て女性は言った。
「…そう言うつもりでやった訳じゃない。それにまだ仕事もある」
「じゃあ何でここに?」
「しばらく、仕事でここに来れなくなるから、ちょっと立ち寄っただけだ。そうしたら、不似合いな声が聞こえてきたんで、な」
「そうでしたか。仕事が一段落したら、また来てください」
「ああ。ありがとう。…と、そろそろ城に戻らなければならない…。またの機会に」
そこまで言うと、女性はすぐに立ち上がり、少し足早に出ていった。
「誰なんだ?」
その後ろ姿を見ながらシーディが尋ねる。
「おや、あんた、彼女を知らないのか?彼女はここの王位第一継承者、マリエ様の一番の側近、キルスティーン様だよ」
「へぇ。道理で強いわけだ」
レイガーが納得したように頷く。
「…先王が亡くなられてから、城の方じゃいろいろともめ事もあるみたいだよ。『誰が王位を継ぐか』ってね」
「その、マリエって人じゃないの?」
ティエルが首をかしげる。
「それが、だ。マリエ様はまだ10と1。まだ幼い。しかし、そこらの大人より物知りだし、この国を統治する力は十二分にある、と私は思うがね。…まぁ、そういう、年齢的にまだだって主張してる『ギーベル派』の連中が戴冠式を引き延ばしてるのさ」
「あれ…?」
ティエルが何か床に落ちているのに気がついた。
「…ペンダント?」
 拾い上げてみると、それは翡翠の台に天馬の装飾が施された、見るからに高価そうなものだった。
「ああ、その天馬は王家の紋章だね。きっと、キルスティーン様が落とされたんだよ。あんたらが見つけたのも何かの縁だろう。届けて差し上げたらどうだい?」
「だってさ。シーディ、レイガー、いい?」
ティエルが二人の方を向く。
「別に反対する理由はないだろ」
と、シーディが言ったので三人は明日、城に向かうことにした。


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