第8章 限界の向こう側

「念じて!」
 まただ。何も起こらない。
「念じ方が足りないのね」
 セリシアが近づく。
 ティエルは『ちゃんと念じているのに』と思わずには、いられない。
もう、今日で五日にもなる。
「ティエル…」
 レイガーが心配そうにティエルの方に目をやる。それに気がついたセリシアは、シーディとレイガーの二人に向かって、びっ、と指さした。
「そこ二人!裏の森に行って、薪を拾ってきて」
「いっ?」
 レイガーがあからさまに嫌な顔をする。
「ここに5日以上滞在する奴は、客とは見なさないわよ。存分に働いてもらいます」
 セリシアは、極上の笑顔でそう言った。
「だ、そうだ。行くぞ、レイガー」
 シーディは先に立って裏へ回ろうとした。と、その時。
「…!」
ティエルが急に膝をつく。
「ティエル、どうし…」
 視界の隅でそれを捉えたレイガーが、ティエルの方に向き直る。
 しかし、その声はティエルには届いていなかった。

 ティエルの中で、心臓の音だけがいやに大きく響く。
 意識はどんどん薄れていった。その代わり、モンスターの意識がティエルの意識を支配していくのを感じた。
 ティエルは押し込められていく意識の中で、モンスターがレイガーを見たのを知った。そして、レイガーに攻撃を仕掛けようとしていることも。 

−私がレイガーを傷つける?そんな…そんなの…

 心臓の鼓動が速くなる。ティエルは最後の力を振り絞り、叫んだ。

「嫌っ!」

 一瞬、ティエルの意識がモンスターの意識を上回った。しかしそれで十分だった。
 ティエルの想いは『念』となり、『ブランクルーン』を発動させた。
 腕の刺青が青白く輝きだす。
「発動?」
 レイガーが驚きの声を上げる。
 ティエルの身体は瞬く間にまばゆい光に包まれた。

『空白(ブランク)』
それは
空白であるからこそ全ての可能性を秘めている
空白であるからこそ様々なものに変貌を遂げる
そして『ブランクルーン』は
術者の強い願いに力を貸した…

 光が消えたとき、そこには、自分の手をじっと見つめて立っているティエルがいた。
「手…元に戻ってる。耳も…。私は…」
「ティエル!」
 レイガーがティエルを抱きしめる。
「もう…おびえなくてもいいんだね…」
 ティエルがレイガーの腕の中でぼろぼろと大粒の涙をこぼした。

「まったく、手の掛かる子、ね」
 セリシアは、ふふっ、と笑った。
「あなたの『想い』はかなりのものであることは、知ってたわ。でも、発動するくらい強いものになるには何かきっかけがいるかな、と思ってたの。でも、あなたは自分で道を切り開いたの。それってすごいことよ」
「発動しなかったらどうしてたんです?」
 シーディが問いかける。
「だって、発動したじゃない。それでいいんじゃない?」
 セリシアは悪戯っぽい笑顔をこちらに向けた。
「ま、そうかもしれませんね」
 シーディは半ばあきれたように言った。でも顔は少し笑っていた。
 そして、そのまま空を仰ぐ。
 木々の間から漏れる…そう、木漏れ日が…眩しかった。

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