第1章 新たなる旅立ち
「この辺はモンスターが多いな…」
「ああ…」
モンスターを切り伏せたその男はその言葉に軽く相づちを打った。
年の頃は二十歳前後、腰まで伸びた黒髪、端正な顔立ちに凛としたまなざしと、ルックスは非の打ち所がないのだが、どこか人を寄せ付けない雰囲気があった。
逆に彼の相方は肩まで伸びた亜麻色の髪に、対照的な、まだ子供っぽさが残っている目をしていた。
その目は右側が金色、左側が青銀というのが印象的である。いわゆるオッドアイというやつだ。
ここは森の中。外ではさんさんと降り注ぐ日光も、ここまでは届かない。
それ故か、暗闇を好むモンスターがうようよしている。
現に、今し方も下級のモンスターに襲われたばかりだった。
髪の短い彼が─レイガーというのだが─長髪の彼、シルディオン(愛称:シーディ)に声をかけて、共に、いわゆる冒険屋を始めて早数ヶ月。二人は次の町に向かっていた。
今まで、際だって大きな仕事も無く、ほとんど雑用ばかりの日々が続いていた。冒険者、と言えば聞こえはよいが、現実は厳しい。正に、「何でも屋」というのが相応しい連中が大多数だ。吟遊詩人に歌われるのはほんの一握り。実力と幸運に恵まれた一部が、それだ。 二人は、もちろん実力は申し分ない。しかし運がなかった。大きい仕事が舞い込んでこないのだ。そこで、それまでいた街に見切りをつけ、旅立ったのだ。
新たなる転機を求めて。
「さあて、シーディ。早いとこ次の町に向かおうぜ。薬類がだいぶ減ってきたし」
そう言って歩き出そうとしたレイガーを、シーディが呼び止めた。
「…ちょっと待て。向こうに誰か倒れてる」
すこし離れたところに暗い色のフードを目深にかぶった人物が倒れていた。
「モンスターにやられたのか?」
「わからん…が、まだ息はある」
どうやら女性らしいその人物を肩に担いでシーディは続けて言った。
「とにかく近くの宿屋まで運ぶぞ」
とある村の宿を取った二人はベッドの上にその女性を寝かせた。
彼女には目立った外傷もなく、ここで、目を覚ますのを待つことにした。
宿屋のおかみさんがサービスしてくれた飲み物を飲みながらレイガーが言った。
「しかし…何者なんだ?この人」
その問いに、シーディはぶっきらぼうに答えた。
「さぁな。だが魔道士だろう?」
きょとんとしているレイガーを見て、シーディはため息混じりに続けた。
「腕に魔術用の刺青が施してあるだろう?」
「本当だ。…っと、おまえさぁ、いくら何でもフードくらいはずしてやれよ」
「…とかいいつつ、顔が見たいだけだろう?」
「ばれた?」
いたずらっぽく笑うレイガー。
「当たり前だ。何年友人やってると思ってる?おまえが女性に弱いことは先刻承知だよ」
女性の脇に立ち、妙に嬉しそうにレイガーがフードをはずす。
「お顔拝見ーっと」
刹那、時が止まったかのような感覚が二人の間に流れた。
フード下のその顔は細い顎、清楚な顔立ち、つややかな髪は黄昏色という、道を歩いていたら、思わず振り向きたくなるような美人だった。しかし、彼女は人間ではなかった。
彼女の耳は、まるでおとぎ話に出てくるエルフという種族のように長かった。
「な…」
次にレイガーがついだ言葉は
「なんて美人…がふっ!」
「アホかお前はっ!」
即座にシーディのツッコミが入る。
「…この場合問題になるのは彼女が人間でないということだろう?」
呆れ果てているシーディ。
そうこうしているうちに彼女が目を覚ました。レイガーは嬉しそうに彼女に言った。
「おはよー。君はサシュの森の中で倒れていたんだよ」
まだ頭がぼんやりしているのか、頭を押さえながら繰り返す彼女。
「サシュ…のもり…?」
次の瞬間、はっとしたように自分の耳を手で覆い隠した。
彼女は戸惑いの色を隠せないままおびえたように言った。
「私の耳…あなた達…見たのね?」
シーディには彼女がこの耳のせいで世間の好奇の目にさらされてきたことが容易に想像できた。
だから、返答に困っていたのだが、レイガーはあっさりと、
「見た」
と言ってしまった。
彼女が一層おびえたような顔をした。そこでやっと分かったのか、レイガーは笑って、
「別に君をどうこうしようって訳じゃないからさ。安心してよ」
そう言うとくるりときびすを返して、
「俺、何か食べるものもらってくるよ」
と階段を下りていった。
シーディがそれを見ながら、彼女に尋ねた。
「…俺の名はシルディオン。あいつはレイガー。俺の幼なじみだ。…あんたの名前は?」
彼女はアルトの澄んだ声で、
「ティエル…。ティエル・セルツァー」
とだけ告げた。
次の日。当初の目的地であった町に三人は向かった。
ティエルは行くところがないので同行している。
もちろん、そうしようと言いだしたのは他でもないレイガーである。
シーディは危険なことにもなりかねない自分たちの旅につれていくのは反対だったが、レイガーに押し切られてしまった。
『まぁ、魔道士なら何かと役に立つかもな…』
そう、無理に自分に言い聞かせながら、シーディは足を運んだ。
町の入り口まで来たとき、ティエルが、
「私はここで待ってる。あまり…こう…フードで隠れてるとは言え、人にはこの耳、見られたくないから」
と言ったので、シーディとレイガーはすぐ戻ると言って、町に買い出しに行った。
「ほんとは俺、ティエルちゃんと一緒に待ってたかったんだけどなぁ」
苦笑して言うレイガーにシーディはため息混じりに
「仕方ないだろう。ここには評判の武器・防具屋があるが、体に合うのを買わないといけないから、本人がいないと話にならないだろうが」
と言った。
しばらくして、買い物を終えた二人が町の入り口の方に戻っていると、ティエルの声がした。
「離して!痛いじゃないの!」
見ると、いかにもガラの悪そうな男二、三人にティエルがからまれていた。
「あの野郎…!ティエルちゃんに何してやがんだ?」
それを見たレイガーはシーディが止める間もなく、血相を変えて駆けだしていった。
「そんなフードなんてのけちゃってさぁ、俺らと酒でも飲もうぜ」
そう言って、男のうちの一人がティエルのフードに手をかけた。
「いや…っ!」
そのときティエルがなにやら耳慣れない言葉を叫んだ。
「ソーンっ!」
すると男たちが何かにはじかれたように地面にたたきつけられて、そのまま気を失ってしまった。
その情景をあっけにとられて見ていたシーディははっと我に返って、辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、レイガーとティエルの腕をひっつかんで、近くの森に逃げた。
『まったく…あんなとこ人に見られたら大騒ぎだぜ』
と思いながら。
日が落ちてだんだん暗くなってきた。3人は適当なところにキャンプを張った。
「昼間のは何だったんだ?」
レイガーがティエルに尋ねた。
「実は自分でもよく分からない。例えば何か怖いことがあった時、さっきの言葉を叫ぶと解決するの」
シーディがぽつりと言った。
「ルーン魔法…だな。何百年も前に失われた」
シーディはレイガーよりも博識である。そのせいか昔から大人びた発言をするので、一部からは煙たがられていた。つまり、人に言わせれば『くそ生意気なガキ』と。
シーディは続けた。
「ルーン魔法は時代によっていろんなパターンがあるらしい。さっきティエルが唱えたのは『ソーン』だな。
意味は確か…『恐怖』」
ティエルが言った。
「私、他にもその言葉知ってるの。でも…誰に教えてもらったのか分からない。
…そもそも、私には2週間前からの記憶しかないから」
レイガーは驚いた様子で、
「記憶喪失?」
と言った。ティエルは静かに言葉を返した。
「そうだと思う。気がついたら、あの森の中にいたの。
はじめは森の木の実とかで食をつないでいたんだけど…
助けを呼ぼうと思ってもこの耳を見て、みんな逃げて行くし…。
で、栄養失調で倒れてたところをあなた達に助けられたと」
『あの森で二週間…?あの森はモンスターが多いので有名なんだが…』
シーディはティエルに尋ねた。
「あの森はモンスターが多くいたはずだが?二週間もいてよく無事だったな」
次の瞬間ティエルがさらりと言った言葉に二人は固まった。
「…モンスターって何?」
レイガーがとまどいながらしどろもどろに言った。
「だから…ほ、ほらねじくれた角生やしてたり、鋭い爪を持ってたり…」
ティエルは続けて、信じられない事を言った。
「え?あれって襲ってくるの?私に食料とかの場所教えてくれたのに?」
返す言葉がない二人。
シーディはふと気がついた。あの辺りには異常にモンスターが多かった事を。
そしてそれが、栄養失調で倒れてしまったティエルを守るためだったとしたら?
シーディはすぐに打ち消した。
『モンスターがティエルを守っただと?モンスターがそんな殊勝な事をするわけがない…。モンスターなんかが…。しかし、もし彼女が…』
そこで出来た仮説をシーディはすぐさま打ち消した。そんなことがあるわけがない。と。
「そう言えば何で二人はこうして旅をしてるの?」
ティエルが二人に聞いてきた。
「俺が誘ったんだよ。何かわくわくするような事がしたくてさ」
そう言うレイガーにシーディは返した。
「俺は一応レイガーの保護者みたいなもんだからな。昔からのつきあいだから言わせてもらうが、こいつは見た目の通りガキっぽいから、ちょっと目を離すと何するか…」
「どーいう意味だよ」
「そーいう意味だよ」
ふてくされたような顔をするレイガーにシーディは少し笑って言った。それを見たティエルは嬉しそうに言った。
「あ、シーディさんが笑ったとこ、初めて見た」
レイガーはすかさずシーディを指す。
「そーなんだよ。こいつ昔っから不愛想でさ」
「大きなお世話だ」
「に、しても、やっぱ女性がいると一気に華やかになるよなぁ」
レイガーが笑う。シーディは思い出したようにティエルに尋ねた。
「そう言えば補助系の魔法使えるか?」
ティエルは少し考えてから、
「たぶん」
と答えた。
「じゃぁこれで攻防バランスのとれた組み合わせになったな。今までは攻撃オンリーだったからな。まぁ、そうはいっても俺の攻撃力と、レイガーの素早さがあったから、滅多なことはなかったけどな」
「レイガーさんは素早い動きが得意なの?」
「だって俺は鳥人族の末裔だからね」
ティエルが不思議そうに聞き返した。
「鳥人族?」
シーディが代わりにレイガーを指して言った。
「鳥人族ってのはその昔、鳥のような翼を持ち、大空を自由自在に飛ぶ能力を持っていた種族のことだ。もっとも、今じゃ、世代が進むにつれて能力が退化して、その素早さだけが残っているに過ぎないけどな。聞いた話だが、極々まれに先祖返りで、その能力を持った奴が生まれるらしいが、俺の見たところ、こいつじゃないな」
「さすが、シーディ。俺も知らないことをよくご存じで」
そう言うレイガーに、シーディは苦笑して言った。
「自分の種族のことくらい知っとけよ」
ティエルがそれを聞いてぽつりとつぶやいた。
「私は…いったい何者なんだろう?」
シーディとレイガーはティエルを見た。一呼吸おいてレイガーはシーディに言った。
「なぁ、俺たちの旅の目的をさ、『ティエルちゃんの記憶探し』にしないか?元々当てのない旅なんだし」
「まぁ…いいけど」
レイガーは嬉しそうにティエルに手を差し出した。
「じゃ、改めてよろしくな。ティエルちゃん」
「ちゃん付けで呼ばれるのって、なんだか、くすぐったい。簡単にティエルって呼んで」
こうして、3人の旅の目的が定まったのである。
旅はまだ始まったばかりである…。
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